February 6, 2009

ヨシュア記20章

これは、聖書の中で、明確に書かれている逃れの町の実際の応用である。

まず、第一に誤って人を殺した場合の処置である。その際に、逃れの町に入るならば、復讐を受けることがないといることである。さらに、大祭司が死ぬなら、恩赦として、自分の町に帰る事ができる。

これは、見事に主イエスの死と、復活による購い、罪のゆるしを現わしている。

5節によるなら、この人は、ある人を憎んでいたのではなく、誤って殺してしまったとある。これは、私たちが、日常的に体験していることである。つまり、ちょっとしたことで、人に憤りの心を持つ。実は、これは、神から見るなら、立派な殺人なのだ。

私たちは、人を軽蔑し、見下すとき、殺人者と同じ罪を犯しているのだ。だから、高慢で赦せないという態度は、あなたを殺人者としてしまうのである。

しかし、その罪、殺人の罪に気がつくなら、逃れの町に行くことが必要だ。さもなければ、私たちはサタンによって復讐されてしまうのだ。

だから、どんな些細なフラストレーションも、逃れの町、そこにいる大祭司の死の意味が分かるまで、に逗留させてもらう必要があるのだ。

そして、大祭司の死の意味、すなわち十字架が分かったら、あなたは、元の世界に帰ることができるのだ。

殺人の恩赦は、主イエスの十字架からしか来ないことをここは教えている。

私たちの些細な罪の現実をここに知るのだ。



(Jos 20:1)主はヨシュアに告げて仰せられた。
(Jos 20:2)「イスラエル人に告げて言え。わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、のがれの町をあなたがたのために定め、
(Jos 20:3)あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。
(Jos 20:4)人が、これらの町の一つに逃げ込む場合、その者は、その町の門の入口に立ち、その町の長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは、自分たちの町に彼を受け入れ、彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む。
(Jos 20:5)たとい、血の復讐をする者がその者を追って来ても、殺人者をその手に渡してはならない。彼は知らずに隣人を打ち殺したのであって、以前からその人を憎んでいたのではないからである。
(Jos 20:6)その者は会衆の前に立ってさばきを受けるまで、あるいは、その時の大祭司が死ぬまで、その町に住まなければならない。それから後、殺人者は、自分の町、自分の家、自分が逃げて来たその町に帰って行くことができる。」
(Jos 20:7)それで彼らは、ナフタリの山地にあるガリラヤのケデシュと、エフライムの山地にあるシェケムと、ユダの山地にあるキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンとを聖別した。
(Jos 20:8)エリコのあたりのヨルダン川の向こう側、東のほうでは、ルベン部族から、高地の荒野にあるベツェルを、ガドの部族から、ギルアデのラモテを、マナセ部族から、バシャンのゴランをこれに当てた。
(Jos 20:9)これらは、すべてのイスラエル人、および、彼らの間の在留異国人のために設けられた町々で、すべて、あやまって人を殺した者が、そこに逃げ込むためである。会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないためである。